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障害児の学校へ
こんにちは、さくらもちです。

今日は本来の活動とは別に障害児の学校?みたいなところに行ってきました。
そこは日本の支援で運営している学校というよりは「教室」という感じ。
資金難のために週1回しか開けていませんが、代表者は本当にしっかりした方で、ビジネスのためにNGOを経営する人が多いネパールのNGOの中で無給で働いている方です。

私が活動するダルマスタリ村の寡婦グループのメンバーで一人、娘さんが知的障害の方がいます。
学校にも行かせてなくて、日中家に誰もいないときは、ヤギと一緒に彼女も柱に繋がれている状態でした。

ずっとなんとかしたくて、同期隊員にいろいろ相談し、情報収集をして村から比較的近い教室に行きあたりました。

お母さんは最初、CTスキャンをして薬を飲めば治ると思っていました。
障害児の専門の隊員は、薬ではなくて日ごろのトレーニングで他の健常児に比べれば遅いけれど、少しずつ周囲とコミュニケーションをとれるようになる、と丁寧に説明してくれました。

お母さんは、知らないところに行くこと、子供が世間の目にさらされることなど心配で、不安でなかなか行くと言えませんでした。

ネパールは貧富の差が激しく、障害児に十分な教育を受けさせてあげられるのはお金持ちの家が多いです。勿論各国のNGOの支援もあります。でもなかなか本当に届けたい人に届いていないのが現状です。

一年かけてお母さんと話をして、今日やっと教室に行くことができました。
貧しいと諦めてしまう人が意外と多くいます。
彼女のケースは、もし日本でトレーニングを受ける機会があれば、ちゃんと障害者の作業所で仕事ができる程度の障害だそうです。
あともう一歩。でも、その一歩を後押しする環境や機会に欠けているのが現状です。

お母さんが躊躇したのも、お金持ちの夫婦がたくさんいるかもしれない。
自分には夫がいない。更に絶望するかもしれない。そんな想いもあったようです。

教室に行くと、代表や他のボランティアスタッフが、娘さんに優しく語りかけ、絵を書いてみようと誘ったり、歌ったり。
娘さんは大変喜んでいました。
代表の方もお母さんと同じ目線で、話をしてくれ、話を聞いてくれ、娘さんに何が必要なのか、したほうがいいこと、してはいけないこと、これからのことを丁寧に説明してくださいました。

一緒に帰る道すがら、お母さんは言いました。
「もっと大変なお母さんがいるなんて、村にいただけではわからなかった。他のお母さんと話ができてよかった。毎週は無理かもしれないけど、また来たい。」と。


NGOの代表の方がびっくりしていました。
学校に行ってもいないのに、初対面の大人にもなつく娘さんはすごい、と。
きっと今までお母さんが愛情を注いで、慈しんできたからだ、と。
なかなか障害児の子どもを持って、家が貧しくて、シングルマザーで、という状況だと、子供にきつくあたってしまって、他人を怖がるようになってしまったり、人の顔色をうかがってしまうような性格になるケースもあるそうです。

娘さんのありのままの姿に向き合い、現状を受け入れて、今まで育ててきたお母さんはすごいです。
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[2012/04/08 11:14 ] | 現地活動 | コメント(4) | トラックバック(0)
駆け込み寺
こんにちは、さくらもちです。
私の活動の一つとして、「駆け込み寺」の要素があります。
いろいろなことで困った寡婦のメンバーが相談に訪れます。

時々来る駆け込み相談にはいろいろなことがありますが、現場にいるなって感じる部分でもあります。



今日のご相談は、「自分(寡婦)の土地なのに、死んだ夫の弟が100万ルピーを払わないと使わせてやらない。文句を言うんだったら、お前の息子を殺すぞ」と言われた。

と一人の寡婦が相談に来ました。



これを聞くと、あらら大変、警察と協力しなければいけない案件かな?とも思って私は最初話を聞いていました。


でも、よく、よ~~~く話を聞くと、


あれれ???

なんかおかしいぞ?


実際はこうでした。

寡婦は土地を所有していたが、夫の弟に5年前にその土地を50万ルピーで売った。
そして、地価が上昇して現在のその土地の価格が100万ルピーになった。
隣人が寡婦に対して「あなたが5年前に売った土地、今では100万ルピーなのよ」と世間話をした。
それを聞いた寡婦は、「差額の50万ルピーをもらわなければならない」と夫の弟に申し出た。
夫の弟は「そんなバカな話はない。でも100万ルピー払えば、この土地を使うことができる」と言った(買い戻しを提案)。
寡婦はそこで食い下がり「この土地は100万ルピーの価値がある。だから差額の50万ルピーを払いなさい」と主張した。
夫の弟は「うるさい、そんなこと言うのだったら、お前の息子に手を出すぞ」と脅した。
そして、その応酬のくりかえし。


というようなことでした。

役員メンバーとこの話を聞いていて、役員は、細かにこの話を聞き、何が問題点なのか、話の全体像を把握するような話し方、聞き方をちゃんとしていました。
そして、寡婦にやさしく、丁寧に寡婦の認識が間違ってることを説明した上で、もしそれでも息子に手を出すと言ったような、脅しがあれば、いつでも力を貸すと話しました。


寡婦は「そういうことなんだ~」と納得して帰って行きました。


この事案に留まらず、びっくりするような(時には笑い話に思えるような)ことで駆け込み相談してくる寡婦が多くいます。

問題は、彼女たちの話をゆっくり、じっくり、丁寧に聞いたうえで、正しい認識、捉え方を説明する人が極端に不足している、ということです。


時にはこのような問題を早とちりして本部に奏上して、事が大きくなった後で、真相判明ってこともよくあります。(そりゃ、本部の人も怒るよね・・・だって、外国人ドナーにそれを宣伝してしまう時だってあるんだもん)


村の女性達はちょっと込み入ったことを理解できない人も少なからずおり、自分の意思通りにならないと、差別されていると短絡的に考える人もいます。


そのような意味では、認識違いから人間関係に軋轢を生んでいる傾向もあります。

ちょっと村に来て、大変そうな寡婦の話を聞いているだけではわからないことがたくさんあるんだな、現場にいなければわからないことってたくさんあるんだな~と思います。
[2012/03/13 18:39 ] | 現地活動 | コメント(0) | トラックバック(0)
郡委員会
こんにちは、さくらもちです。


さて最近ご無沙汰してるブログですが、ここ2カ月はめっちゃ忙しかったです。

というのも、さくらもちが何度も主張していた「郡委員会の発足」の準備があったから。


ここで活動をしていて、ずっと思ってたことの一つが首都カトマンズ近郊付近の農村の援助や組織化に対する空洞化でした。

最近の開発の流れとして、地方展開、辺境に住む人へ、機会の乏しい農村へ、みたいな雰囲気が生まれてます。

それ自体はとってもいいことだと思いますが、その一方でその波に取り残されてしまう人もいるわけで。

それが私が活動しているカトマンズ近郊の寡婦でした。

NGO内部でも地方農村部への援助の申し出はけっこう多いのにも関わらず、なかなかカトマンズ近郊をターゲットにしたプロポーザルは通りにくいし、有効な支援やプロジェクトが来ないのが現状です。


確かに農村に比べたら、首都へのアクセスもいいし、学校もあるけれど。
それでも識字率は低いし、現金収入の機会が乏しいのは地方農村とそんなに大差ないし。
KTM近郊農村の女性達って、世界が村で完結してることも多いから、取り残されてる感が否めないのです。行政サービスはまったくあてにならないし。


NGOもそんなカトマンズ近郊の寡婦の組織化に関しては後手後手に回ってて、村の女性を対象に活動してきた私としては、モヤモヤ感があって、ずっと郡委員会をちゃん作って、カトマンズ市内と近郊農村の寡婦の受け皿を組織的に作ろうよ、と言ってきました。


それが、やっとこの1月の末に発足に至りました。

万歳!!


本部と村レベルの寡婦組織の間に郡委員会を置くことができました。

今まで、村レベルの問題がそのまま本部に持ち込まれ、本部はプロポーザル書くのに忙しく、村のことは村で処理してよ!みたいな、村と本部の間の衝突もあったのですが。
そもそも、本部のスタッフは村の寡婦とまともに話ができないし。
郡委員会を発足して、村の意見を吸い上げて、ワンクッション置いて、本部に提言するシステムを作ることができました。

委員会自体の運営はサポートがこれからたくさん必要になると思いますが、とりあえず、発足したっていうのは意義深い!!

やっとここまでこぎつけました。
[2012/03/08 16:04 ] | 現地活動 | コメント(0) | トラックバック(0)
イタリア人の視察
こんばんは、さくらもちです。


またしても久々の更新です。


今日はなんか、とってもいい感じで活動できたので、防忘録として。



この配属先で仕事をして早1年半。

この間山ほど、欧米人の視察につきあいました、NGOとか国連の人とか。


・・・で思ったことは、欧米人ってネパール語も喋らないし、喋ってもうわべしか見ないで、自分の想定の範囲内の答えしか現場に求めていないこと、途上国の人を同じ目線で見ないことに、正直うんざり、がっかりすることが何度もありました。

というわけで、ここ数カ月のさくらもちは「嫌欧米人」になってました。



昨日と今日の2日間、またしてもセントラルオフィスからイタリア人の対応をお願いされて、ヤダヤダと思ってました。

今回の外国人はイタリアで社会学の修士課程を専攻する学生さん。
論文執筆のためのフィールド調査でした。




現場を知っていて、かつネパール語と英語を話せる人材が実はわがNGOには乏しいです。

なので、さくらもち、行って来て~。マイクロクレジットのことちょっと話せばいいからさ~みたいな感じでセントラルオフィスには言われました。




でも、今回出会った学生さん、さくらもちの「嫌欧米人」を払しょくしてくれました。



本当に熱心にいろんなことを聞き、寡婦の女性に対する配慮もしっかりしていて、本当に嬉しかったです。


「なんで、あなたの夫はいないの?離婚?死亡?他に女作った?」
とけっこう平気で聞いてくる欧米人が多い中で、彼女は

「そういうこと聞いてもいいのかな?無理だったら通訳しなくていいから」
と言ってくれました。


時にセントラルオフィスはしばしば、そのようなことをズケズケ質問するし、寡婦の女性たちも「それでなにかしらの援助がもらえるのならば!」と言いたくなくても話すことがあります。


そんなとき、さくらもちは思います。



人の尊厳は、どこ行った??


・・・と。



そんな調査は、開発って名前の暴力なんじゃないか?と。



でも、彼女は違いました。


実によく配慮してくれ、細かいことまで知ろうと努力していました。

ネパール語もできる限り話すように、頑張ってました。




彼女は大学の学問では知り得ないことをちゃんと、フィールドで感じたいと言ってくれました。



多くの欧米NGOやUNが想定内の現状しかみない中で、彼女は奥まで探ろうと実に鋭い質問をソフトにしてくれました。




で、さくらもちは思いました。


もしかしたら、こういうことも私の仕事かもなぁ、と。


想定内のことを求める一部の援助者と、それしか発信しようとしないセントラルオフィスの在り方に不満を抱いていたけど、
私がちゃんと村の現実を伝える努力も必要だと。



あと半年しかないけれど、がんばってこの部分もしっかりやろうと思った2日間でした。
[2011/12/24 02:21 ] | 現地活動 | コメント(2) | トラックバック(0)
住民大会
今日は住民大会でした。


朝7時に学校に集結。



村の3丁目の土地を欲しいという寡婦のメンバーたち。


というのも、3丁目の土地はダルマスタリ村の中心であるだけでなく、周辺7村からもアクセスしやすい場所にあるため。


周辺村の寡婦メンバーのためにも便利だろうという主張。




それに対して、3丁目の住民は大反対。


もとい、猛烈な反対。




住民大会は話したい人が前に立って、自分の主張をしていくという極めてシンプルなもの。


主張の間に反対意見がでると、人が話している途中により大きな声で反対するというもの。




・・もっと人の話聞けよ。





3丁目の長老みたいな人が前に立って



「われわれは寡婦をサポートしないと言ったか?」

と問いかけると、3丁目の男性たちは


「言ってなーい」



と声をそろえて、応じる。なんてチームワークの良い・・。



「しかし、あそこの土地を整地したのは男だ」




と長老が言うと・・・


「まさしく、そのとおり!」




と3丁目男性陣。。。




なんてチームワークの良い・・・。


でも、意味わからん。




「というわけで、3丁目の土地は寡婦には渡さなーい」



と締めくくる長老に男性陣は



「そうだーーーー!!!」


で、もみあいの喧嘩に。



警察まで出てきました。。。




なんか、おかしいなぁ??

と思って、とある政党の人に聞いてみたら、長老はマオイストの地元リーダー。


すごいチームワークを発揮してたのは、マオイストの支持者たち・・・。


道理でチームワークのいいはずです。


で、聞くところによると、どうやら、マオイストは3丁目の土地にサッカー場と体育館を作ってあげると口約束をしていたらしいです。


男性たちは寡婦のリハビリテーションセンターよりも、サッカー場がほしい。



まあ、どっちも寡婦の施設も、体育館もあれば村民のためにはなるのよね。


多分、裏ではいろいろと政治的な利権は絡んでると思うけど。




違う土地ならあげてもいい、みたいな話になりかけた時、


信じられないことが・・・・。





なんとマオイストが役所の一番偉い人(サチブ)が書いていた議事録を取り上げ、



破り捨てたのです。。。。



おいおい、やりすぎでしょう。




しかも、そんなマオイストの強行な手段に恐れおののいたサチブは会議から逃げ出す始末・・・。





その後改めてサチブ抜きの会議をするも、土地云々から、あんなサチブいらない、だとか、文書を破り捨てたマオイストの強行に対する批判が噴出し、論点がぶれまくり。。。



7丁目の土地なら反対意見がでないようにしてあげると、複数の政党グループの人が耳打ちしてくれましたが、


今度は寡婦グループ内で、7丁目は嫌だだとか、7丁目でいいじゃないかだとか。




いいじゃん、7丁目で。と私は思ってしまうのですが。。。。


7丁目だって、バスの路線にアクセスしやすいし、3丁目でなければ絶対だめってわけじゃないんだから・・。



まだまだもめそうです。




しかし、激しい住民大会でした。



[2011/08/27 18:23 ] | 現地活動 | コメント(1) | トラックバック(0)
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